January 2009
4 posts
台湾で出会った駅員
(校内新聞用に書いたエッセーのボツ原稿のうち、面白いと言われた方を載せる。)
地下鉄に揺られること数分、台北市西門町へと赴く。西門町は若者の町として知られている所だ。が、そこで自由行動となってすぐ、私ははたはた困ってしまった。衣類、音楽、軽食、そういう類にあまり興味を持たない私には、行くべきところがなかったのだ。
さて、かといって無目的に散策するのも時間の無駄なので、ひとまず西門駅へ行って情報を集めてみることにした。ガイドマップを求めてうろうろしていると、声をかけられた。英語だった。どこから来たのかとか、クラスメイトはどこにいるのか等と聞いてくるので、どう説明すべきか戸惑う。たどたどしい英語と身振り手振りで何とか説明して、どうやらそれは伝わっているようなのだが、いつまでもしつこく話しかけてくる。「Do not mind me.」とか「I got it, thank...
昔の人は”仕事”と”稼ぎ”を分離して考えていたらしい。例えば農民の場合、”稼ぎ”とは田んぼを耕す事である。農民にとっての”仕事”とは、地域の行事に参加したり、地域...
– 「好きを仕事にする」ではなく「仕事を稼ぎにする」 (via nonnon21) (via kiyoya)
作る人
もの作りは麻薬である。もの作りを続けていないと、気がおかしくなってしまいそうだ。
だから僕らはいつも、何か次のものを作ろうと模索している。
できあがったものが自分で納得のいくものだと嬉しい。それが他人に認められると、さらに何倍もの快感が得られる。
僕らは次第にもの作りのことしか頭に入らなくなる。快感を求めるために。
作る人が映画を観に行きました。その映画にはすばらしく演出にマッチした音楽があったり、どきどきするアクションシーンがあったり、でもちょっと物足りないストーリーがあったりしました。
作る人は分析します。このストーリーに足りないものは何だろうかと。見せ場の緊張感でしょうか。凝った心理描写でしょうか。それともいわゆる意外性が欠如しているのかも。...
一人の世界
例えばこんな想像をしたことはないだろうか。
自分以外の全ての人間が何所かへと消え去ってしまう。
そして自分はどうしようかと途方に暮れながら、ただただ惰性に従って、生きることを試みる。
人がいないから電気や水道は通らないのだけど、川水や井戸水ならいくらでも手に入るし、無人の店へと出向けば食料も手に入る。
他人の田畑を拝借して、そこで農業を営むことも可能だろう。
火起こしの経験も一応あるので、その点も困ることはない。
結果として、僕は少なくとも六十歳を超えるぐらいまで、病気か老衰かで死ぬまで生き続ける。
食べ物や水が得られず栄養の問題で死ぬとか、野生の動物に食われて死ぬとか、他者との接触がないために精神がおかしくなって死ぬとか、そういった死に方ではなくて、最後まで自分一人の力だけで図太く生き延びて、でも、結局最後は死ぬのだ。
自己中心的な妄想であると、思われるかもしれない。...